one mileというミニコミ誌?がある。ほとんど、ミニコミ誌的でない。好みで編集されている。しかも採算なし。いまどきそんなと思う。私にとって気になる人を追っている。とらえ方もいい。文章も私には説得力がある。格調高い。
一度話したいと思った。いつもひょっこりと出会うのだが、急速に興味がわく。特別な何かを感じる。うれしい。このような人がいるってこと!
彼女は京都の美術館へ、そのあと個展ために額を買いに行く。
昨日は奈良の勇斎のギャラリーに行く。インド国立近代美術館のダイレクターと結婚した京美出身のローチャン由里子さんの個展に行く。気が晴れる。
昨夜はよく飲んだ。5時から夜中まで。例の4人組。酒が好きな元教授、最近知り合って今まで飲んでなかったけれど飲みだしている特任教授、彼はいつもお酒を用意してくれる。今までにたまったいい酒がある。持ってきてくれる。
Nさん、昨日はよく飲んだ。千鳥足もいいところ。抱えながら帰るが二人して転ぶ。頭にたんこぶができた。見舞がてら電話した。大丈夫だった。
この年になって飲み友達?ができるとはありがたいことだ。
枚方へ。仕事を済ます。緑内障、この分ではこれから車の運転もできなくなるかもしれない。慎重に運転している自分がある。
無頼派の復活!か
血液検査の結果、どこも悪いところはない。ただ精神が病んでいる!
男性作家が選ぶ太宰治を読む。堀江敏幸という作家の推薦『富嶽百景』をよむ。読みながら、私のの好きな晩年の作品とどうつながるかに興味があった。太宰のちゅきの作品、落ち着いて小説に精進しようと意気込みを感じる。安心できる作品だ。晩年の作品群につながる要素がこの『富嶽百景』に表れていると思う箇所があった。
気が付いた、もし彼の晩年の無頼派のあの時期を、乗り越えていたら、その後年どうなってたかと考えてみた。
インターネットで調べた。あの怒涛の一時期、無頼派と言われた作家、織田作之助、太宰、田中英光ほか念のため引用しよう。
第2次世界大戦終結直後の混乱期に,反俗・反権威・反道徳的言動で時代を象徴することになった一群の作家たちをいう。通常,石川淳,
織田作之助,
坂口安吾,太宰治,檀一雄らを指すが,論者により伊藤整,高見順,
石上玄一郎,
田中英光,北原武夫などの作家を加えることもある。
とある。
興味を惹く本が見つかった。
『純血無頼派の生きた時代』の 青山 光二
読んでみたくなって注文する。
知りたいことは、太宰の中にもいろんな要素がある。そのどれが時代にヒットするかで生き方も変わる。もし太宰が長生きしていたら・・・。そう思ったのだ。どのような小説を書いていただろうかと・・・。私の中の太宰的なものと、そうでないものとが当然ある。彼女と結婚するとき、一緒に太宰の墓に参った。太宰との決別を意味している。
だが、この年になって・・・。生きてることって面白いと思う。
たまたま、何人かの気持ちの通じると思っている人が来る。気持ちの塞いでいたのが、少し吹っ飛ぶ。少しばかり落ち込んでいる私には、息を吹き返す元気を与えてくれる。だが、片方で乗っかってはいけないと思う気がある。私には仲間がいると思うことは、真正面から問題を受け止めない気にさせる、そんな気になった。
あまりにかたくなにまじめに受け止めなくてもいいんだよというささやきが聞こえる。なるようにしかならないものなのだ。
やるだけはしたと思っている。はっきりさせたい。話し合いたいと申し出た。じっくり言い分を聞こうと思う。
アルビノーリのアダージオを聴く。かって熱狂的に好きだった曲だ。
小学校の教師をしていた時、気になるというか尊敬していた親がいた。いわば仲間は、軽はずみに軽く見ていたところがあった。当時、私の勤めていた校区というのは元阪大の工学部の敷地、そこが公務員宿舎に生まれ変わった。中に大学の先生の宿舎がある。今の教育についていろいろ勉強されている。自分の子がどうのということではない。生きているという原点に基づいた集まりだったと思う。
よばれて教育実践を話した。コテンパンに言われた。今思うと、単に教師にとっての実践だった。いい子に育てたいとは思わないといわれた。
ひっくり返った。教師の間ではその子の学力云々が評価につながった。そうではない。どう生きるかだと・・・。
当時『太郎次郎社』から、お母さんの中も一人大学の先生だった、彼女の思いが本になった。印象深いのが言おうとしていることなのだが、一月悩んで外に出られない時があったと直接聞いて圧倒されたことを思い出す。それを言いたかったのだが、私の口癖になった。「人間そう簡単には変わらない。悩みぬかなくては変わるもんではない』会う人ごとに言ったものだった。
その思いは今も私の脳裏に深く刻まれている。そのために深刻にずっと考えたところで、へこみやしないものと思い込んでいる。ただし、本質かどうかだ。
今回、突然予期しない考え込む場面にぶつかった。おたおたしつつもその方策が浮かんだ。たんたんとすることをするだけだ。今はそう思っている。